水夢譚

SUWIMUTAN

[WaterDreamHistory]

 

平野 一郎:

 

HIRANO Ichirô:

 

水夢譚(すゐむたん)

 

Suwi-Mu-Tan

 

[WaterDreamHistory]

 

洋琴・笙・尺八・胡弓・琵琶・箏と打物に依るヤポネシア山水譜

 

Yaponesian Soundscape for piano, shô, shakuhachi, kokyû, biwa, koto and percussion

 

2024

 

 

 

舘野泉とヤポネシアの精霊に捧ぐ

 

Dedicated to TATENO Izumi & Yaponesian Spirits

 

 

 

Ⅰ: Lake

 

Ⅱ: Shore

 

Ⅲ: Field

 

Ⅳ: Forest

 

Ⅴ: Valley

 

Ⅵ: Spring

 

Ⅶ: Mountain

 

Ⅷ: Hill

 

Ⅸ: River

 

Ⅹ: Ocean

 

ⅩⅠ: Avis

 

ⅩⅡ: Cave

 

ⅩⅢ: Sky

 

ⅩⅣ: Mist

 

ⅩⅤ: Lake

 

 

 

 

 

●「水夢譚」プログラムノート●

 

「精霊の海」(2011)「微笑ノ樹」(2012)「星巡ノ夜」(2014)「鬼の生活」(2021)「鬼の学校」(2022)に続く「水夢譚」(2024)は舘野泉さんからの6度目の委嘱作品となる。「平野さん、邦楽器とピアノが合奏する曲どう思う?」と最初にさりげなく尋ねられたのは確か20226月、東京文化会館での「鬼の生活」の上演後の打ち上げの席だった。「鬼の学校」本格着手直前の時期で折角のチャンスのはずが何故か不思議に気乗りせず「単にでコラボレーションしました、って感じになったりすると勿体ないですよね」とか何とか変な応答で結局お茶を濁したのを覚えている。

 

20234月の終わり、舘野泉さん米寿記念演奏会シリーズの始まりとなる札幌公演=「鬼の学校」北海道初演が迫って来た。前年には南相馬・名古屋・東京と初演に立ち会ったので、この年のツアーは子離れして遠くから見守るつもりだったのが、いよいよ近づくにつれて、その冬の予期せぬ喪失の後の最初の機会である事を想い、どうしても、と思い詰めて、公演3日前に急遽北海道行きを決めた。公演前日は車を借りて蝦夷地の円空佛を巡った。ポロト湖畔に建てられた新しい国立の施設にも立ち寄り、真新しい門から「内に入る」や否や、そこには遥か古の原野が広がり、むしろ本当の「外に出た」のだと悟る、という不思議な感覚を得た。翌日胸を打つ公演の後のレセプションの最中に向かいに座った舘野さんから「平野さん、前に話した邦楽器とピアノの曲を作ること、今どう思うかな?」と再び尋ねられた。文字通りその瞬間、自分の脳裏に若き舘野泉青年がすっと現れ、鏡のように開いた湖上から原初の日本列島(ヤポネシア)の底に隈なく広がる水の異界を覗き込んで、辺りをぼうっと取り囲む異形たちと言葉に依らない不思議な対話を波紋のように交わしている様子が浮かんだ。「出来ます!」と即座に応えた。

 

それから夢中で様々な想を練るうち、程なくその新作は「水夢譚」という名を得た。ヤポネシアの海岸へ永劫に打ち寄せる幾重もの波に乗って流れつき、やがて土着した人や楽器がこの地の神や精霊と交歓しながら先住後来共々に相見えて軋みあい融けあい、妙なる協和・不協和を大いなる鈴のように鳴り響かせる。目下最後の波に乗り洋琴たずさえ現れた青年は、太古のヤポネシアに辿り着いた清新なる来訪者(エトランジェ)特有の風土が織りなす山水へと次第に解け込み、無数の人・神・精霊たちと出逢い愉しみ別れ哀しみ、驚くべき魂の遍歴を重ねていく旅人である

 

そんな現想に導かれた「水夢譚」は、いつにも増して長い時間の中で無数の共時性に眩暈させられては何度も中断を挟みつつ、ゆっくりゆっくり生まれてきた。南の端から北の果てへ進む船が青黒い大波に揺られ呑まれて遂には沈む、という奇妙な夢を何度も見た。産みの苦しみ、殯の傷みを経て、浄められてゆく響きと調べ。非日常な日常のかけがえなく美しい悲しみに浸されたそれらは一つ残らず楽譜へと沁み込んでいった。喩えるなら、凡ゆる人のもっとも私的な体験がそのまま妣なる風土の・文化の・民族の物語と重なる、今は見えなくなった全ての尊い存在を偲ぶ時空が現れた、と感じている。

 

夏の終わりの202499日、「水夢譚」は完成した。

 

曲は旅人の道程に沿うように連続する15の場面からなる。

 

以下は、音楽の視る夢に導かれるまま自動書記された作曲者の覚え書き。

 

 * * *

 

I: Lake 邂逅。凪いだ湖面を覗きこみ耳を澄ます旅人の内なる声が次第に漣を起こし、太古の精霊を呼び覚ます。

 

II: Shore 対話。精霊たちはまちまちの言葉によらぬ言葉を通して交信する。

 

III: Field 行列。来訪者を伴って森の聖地へと野を渡る厳かな列に、道の辺の人々神々が三々五々と加わって、いつしか長い大群衆の道行となる。

 

IV: Forest 参集。聖地に集った共々の騒めきを森の老翁の杖が窘めると、忘れられた踊り歌の一節が大気の中で微かに甦る。

 

V: Valley 結界。一陣の魔風が空気を顛わせ、霊気の濃淡で聖別される見えない境を形作る。

 

VI: Spring 秘儀。谷の奥に渾々と湧く泉の方へ促された旅人は巫さながらの姿仕草で、何故か識っていた太古より密かに伝わる水の呪術を執り行う。

 

VII: Mountain 顕現。閃光と雷鳴が空を切り裂くと見晴るかす山上に畏るべき最高神の出現が確と兆す。

 

VIII: Hill 饗宴。奇蹟を目の当たりにした群衆は俄かに歓び溢れ、来訪神たる旅人を歓待する宴へとなだれ込み、人・神・精霊あい交ざっていつ終わるともなく呑み喰い笑い歌い踊る。

 

IX: River 舟行。賑わいの最中にも傍らの細い河には刳り舟が準備され、皆は宴の鎮まりと共に順々に乗り込んで、何処へ向かうか、やがてゆるゆると漕ぎ出だす。

 

X: Ocean 波瀾。進むに従い流れがどんどん広くなると舟はいよいよ大きくなって、気づけば緑の大河の川裾から青黒い大海の荒波へと舳先を突っ込み、ますます波は畝り雲は沸き風は荒れ、遂にはけたたましい疾風怒涛に翻弄される。

 

XI: Avis 沈潜。聳え立つ巨壁の如き最後の大波に攫われた舟は渦巻く水に呑み込まれて、轟々と奈落の底へ沈み墜ちる。

 

XII: Cave 哀惜。懼ろしい闇の静けさに包まれた水底にぽっかり空いた横穴を辿ると、無数の亡き骸が眠る天然の墓処に到り、見えなくなった者たちの悼みあう慟哭が遠近の波音のように寄せ返す。

 

XIII: Sky 浄化。肉体を離れた魂たちは、洞窟の奥から天へと続く通路に吸い上げられるように、虹の光を纏いながら靄となって昇って行く。

 

XIV: Mist 廻想。濃霧の中に佇んでふと我に返った旅人は、憶い起こす毎に片端からほろほろと毀れ雲散霧消する記憶を夢中で探り、辛うじて心に刻まれた印を見つけては言葉の破片を拾い集める。

 

ⅩⅤ: Lake 出立。霧が晴れると、沙上に立ち意を決した旅人の眼前に、原初の湖が広がっている。

 

(平野一郎)

 

ヤポネシア【Japonesia】とは、第2次世界大戦末期に南島に暮らし敗戦を迎え遂に出撃しなかった元特攻隊長の幻想作家・島尾敏雄氏の考案により20世紀中葉に生じた概念。地形・風土を表すものとしては千島から琉球弧に及ぶ広義の日本列島を指すと共に、太古よりこの地に棲んできた人々の民族的・文化的な多元性・多様性への志向と探求を象徴する語ともなっている。21世紀も5分の1を過ぎた昨今、ヤポネシア【Yaponesia】人の起源と成立を解明するべくヤポネシアゲノムの学術研究が本格的に開始されている。

 

 

 

[委嘱]

 

舘野泉 左手の文庫

 

[初演]

 

2024年11月2日 福島県南相馬市ゆめハット大ホール 

2024年11月4日 東京都 東京文化会館 小ホール

 

=演奏=

 

洋琴:舘野泉

笙:中村華子

尺八:田野村聡

胡弓:木場大輔

琵琶:久保田晶子

筝:竹澤悦子

打物:池上英樹