無伴奏ヴィオラに依る〈人間ソナタ〉

SONATA HUMANA via Unaccompanied Viola

 

安達真理 委嘱作品

Commissioned by ADACHI Mari

 

I:働く人 Homo Laborans

II:遊ぶ人 Homo Ludens

III:歌う人 Homo Cantus

IV:夢みる人 Homo Somnians

V:考える人 Homo Cogitans

VI:愛する人 Homo Amans

VII:戦う人 Homo Pugnans

VIII:祈る人 Homo Orans

IX:踊る人 Homo Saltans

 

おお、人間よ! 心せよ!O Mensch! Gib Acht!

〜―フリードリヒ・ニーチェFriedrich Nitzscheツァラトゥストラかく語りきAlso Sprach Zarathustra

 

この作品はヴィオラ奏者・安達真理の委嘱に応え20251-2月に作曲したものである。

いきなりだが私は2020年頃から人間の尊厳を巡る幾つかの極私的体験が契機となり半ば冗談じつは本気で妄想音楽史と称しつつ声の聖域たるルネッサンス/マドリガーレの無時間の楽園に時の番人(=通奏低音)が忍び込みやがて崩壊したその墟に建つあらかじめ歪み毀れた機械仕掛けのバロック劇場を舞台に人形ぶる歌手によって拓かれた人間性への幻滅と讃美の両義的ドラマ即ちオペラの独自探究に夢中で勤しんでいる。その核心を成す認識の一つにバロック期に突如として西洋音楽の中心的存在となったヴァイオリン属が実は音楽上の擬人ヒューマノイドという見立てがある。

安達真理のヴィオラを初めて聴いた時かのカストラートの伝説的名歌手ファリネッリもかくやという融通無碍の両性具有性を電撃的に感得しいわば脳内にウィトルウィウス的人体模型を手にした心地で狂喜するうち気づいたらこの人間そっくりなヴィオラを検体として音楽的かつ劇場的あるいは身体的かつ精神的な公開臨床実験を実施したいと欲望していた。

而るに生まれてきた曲はかけがえのない何もかもを失ったあと最後に残る風土としての身体(=楽器)を憑代よりしろに度し難き人間の人間による人間のための九相の一人芝居モノドラマが曼陀羅様に次々と展かれる9楽章40分超の擬古典もしくは疑古典ソナタ。様々な性格を備えた登場人物が各々の存在理由レゾン・デートル自己同一性アイデンティティを求めて七転八倒する。各楽章を連続するか否かは奏者に委ねられている。

なお親愛なる新しがり屋ネオフィリアの皆さんにとっては昨今巷間を騒がすポストヒューマンなるものへの人間的な余りに人間的な警句か箴言もしくは遺言となるだろう。

I:働く人 Homo Laborans [Allegro Meccanico]

来る日も来る日も作動する二百余年のモダンタイムズ取替え引替えの捨て駒はある朝ハッと気がつけば人間そっくりの何かに取って代わられるかその何かになっているか。彼人かのとは呟く―「われ働く、故に我あり!Labor,Ergo Sum!

II:遊ぶ人 Homo Ludens [Scherzo Esagerato]

かのホイジンガ博士を待たずとも山の子海の子里の子街の子童心忘れぬ諸人すべからく無邪気に有邪気にもどき擬かれ三つ子の魂百までと時を忘れ歳を忘れてふざけ戯れること厭わず。彼人は笑う―「われ遊ぶ、故に我あり!Ludo,Ergo Sum!

III:歌う人 Homo Cantus [Aria Monocolore]

ドレミファソラシSaRiGaMaPaDaNiいろはにほへと揺れ動く七つの音に節つけて微に入り細を穿ち狂わんばかりありとあらゆる調べをしらべる歌い手が束の間ふと我に返る時ほんとうの内なる響きが流れ出す。彼人は謳う―「われ歌う、故に我あり!Canto,Ergo Sum!

IV:夢みる人 Homo Somnians [Ninna-Nanna Artificiale]

羊が一匹羊が二匹現世うつしよの肉の苦しみに目を伏せてあやかばばの懐かしいおまじない唄ききながら耽るは唯脳の楽園か電脳の浄土か老いらくの夢幻か生まれる前の追憶か。彼人は想う―「われ夢みる、故に我あり!Somnio,Ergo Sum!

V:考える人 Homo Cogitans [Monologo Sospetto]

地獄の門の入り口で眉間に皺寄せ拳に顎のせ膝に肘つき背中丸めて生か死か是か否かアレかコレかと懊悩する猜疑にかれた哲人もかすみ喰ろうて生きること能わず。彼人は説く―「われ考える、故に我あり!Cogito,Ergo Sum!

VI:愛する人 Homo Amans [Romaze Istintivo]

蝶よ花よ月よ星よと育てられた御仁は善かれ悪しかれ長じても穢土えどの汚濁に塗れることなく天真爛漫に香り振り撒き愛でたく笑い咲く満身より煌めく光やとりどりの色が果て限りなく溢れ出る。彼人は告げる―「われ愛する、故に我あり!Amor,Ergo Sum!

VII:戦う人 Homo Pugnans [Battaglia Forzata]

鋼の鎧に身を固めた勇猛なる武装せる人右手めてに矛左手ゆんでに盾もて悍馬に跨り拍車をかける死をも恐れぬその姿案じ待つ者の愁いも顧みず死神の飛ぶが如くに翔り征く。彼人は喚く―「われ戦う、故に我あり!Pugno,Ergo Sum!

VIII:祈る人 Homo Orans [Rituale Doppio]

砂漠の虚空を長くたゆたい降り沈む旋律メロス稜線に鶯の囀りタハリールの如く喉震わせ悲痛におらぶ東方の声と清浄なる聖堂ドームの向こうがわ星々瞬く天球の彼方指し十字結んで厳かに朗々と立ち昇る西方の声。彼人は唱える―「われ祈る、故に我あり!Oro,Ergo Sum!

IX:踊る人 Homo Saltans [Danza Pazzesca]

天鈿女あめのうずめ出雲阿國いずものおくにの昔より千早振ちはやぶる神の嵐の面白や波のつづみを打たむとて雲の御笛みふえを吹かむとて天津乙女あまつおとめの舞の袖國津男子くにつおのこの躍る裾はためかしたる風の主鼕鼕どうどうと踏むあしおとに老若男女入り乱れ空也坊主もフランチェスコ派も生を想えMemento Vivere歓喜踊躍かんぎゆやくの神樂囃子にええじゃないかと物狂う。彼人は叫ぶ―「われ踊る、故に我あり!Salto,Ergo Sum!

 

[上演記録]

2025年4月29日 安達真理 京都渋谷区|ハクジュホール